背景
犬の膝蓋骨脱臼は大腿膝蓋関節の不安定性に起因し、後肢跛行の原因疾患として高率に発生します。この疾患の病態は、軽度ものから重度な跛行を示すものまで非常に多様です。脱臼の方向は、内方、外方、または近位方向が報告されています。
またその脱臼は、先天性または外傷性に発症すると考えられています。先天性膝蓋骨脱臼とは、膝蓋骨の正常な解剖学的位置である大腿骨滑車からの非外傷性の変位と定義されています。
膝蓋骨内方脱臼(Patellar luxation: MPL) は、犬における最も一般的な膝関節の異常の一つとして認識されています。
MPL において、膝蓋骨は大腿骨骨幹軸に対して内方に変位します。多くの脱臼は生後早期~骨格形成期に発症し、外傷と関連性がないことから、脱臼の原因となる解剖学的な異常はこの時点で存在し、その後に発症・重症化する膝蓋骨の脱臼の原因となることがあります。
小動物臨床領域において最も良く遭遇するのは、小型犬種における先天性または骨格形成期のMPL です。MPL は動物の大きさに関わらず発症が報告されていますが、大型および超大型犬種の MPL が、近年非常に多く認められています。
MPL は、全ての犬種において膝蓋骨外方脱臼 (Lateral patellar luxation: LPL) よりも発生率が高く、膝蓋骨脱臼症例の75%から85%がMPLであり、両側に認められる確率は20%から25%であるという報告があります。大型犬種では、LPLの発症が多いというのが通説ですが、それは小型犬種におけるLPLと比較して多い、と言う意味なので注意が必要です。
猫に関しても、同様に膝蓋骨脱臼が報告されており、通常はMPLが多く認められますが、犬より一般的という訳ではありません。
重症度分類
犬の膝蓋骨脱臼では、4段階の重症度分類が広く用いられます。膝蓋骨脱臼に伴う骨格変形の程度は、症例により軽度から重度まで様々であり、多様な臨床徴候を示します。膝蓋骨脱臼に伴う骨格変形を評価することは、治療方針を決定する上で非常に有用となります。
Grade 1
通常の関節運動中に膝蓋骨が脱臼することは稀です。膝蓋骨は、徒手により容易に脱臼させることが可能ですが、加圧を解除すると膝蓋骨は滑車内に整復されます。膝関節の支帯構造が障害を受けた場合、臨床症状が悪化し、膝蓋骨脱臼の重症度が進行する可能性があります。
Grade 2
趾先を回転させ、徒手により膝蓋骨を押すことにより容易に脱臼させることが可能です。膝蓋骨は、試験者により整復されるか、膝関節を屈伸、または趾先の回旋を元に戻すまで、脱臼した状態が持続します。臨床症状として、疼痛を示すことはなく、時折スキップをするような間欠的な軽度の跛行を呈します。
Grade 3
膝蓋骨は恒久的に脱臼していていますが、徒手により整復することが可能です。徒手による整復後、膝関節の屈伸運動により膝蓋骨の再脱臼が認められます。大腿骨や脛骨に重度な骨格変形が認められることがあり、脛骨の内旋、大腿骨遠位と脛骨近位のS字型湾曲が特徴的です。膝関節の屈伸運動時には、足根関節が外転および内転します。非常に浅い、または平坦化している滑車溝の触診が可能です。
臨床症状として、頻繁に跛行を示し、支帯構造が障害を受けている場合には、持続的な跛行を示します。多くの動物は膝関節を若干屈曲させた状態を維持します。
Grade 4
膝蓋骨は恒久的に脱臼しており、徒手によっても整復することは不可能です。大腿骨滑車溝は浅いか、消失しており、時には突出していることもあります。膝関節を支持する軟部組織の異常、そして大腿骨および脛骨に顕著な変形を伴うことがあります。
臨床症状として、膝関節を伸展させることが不可能であり、うずくまるようにして歩行するのが特徴です。骨格形成期に罹患した場合、早期に矯正されない場合には、重度な骨格および靱帯の変形が生じ、矯正または修復が困難な状態となる場合があります。
治療法
外科的治療法 Surgical Procedures
外科的治療の必要性
MPL罹患症例に対して外科的治療は、臨床症状の有無、臨床経過、犬種、年齢、体重、その他の併発疾患(特に前十字靱帯断裂)の有無などを基に決めていくべきです。
1. 臨床症状
MPLに起因した明らかな臨床症状を示す症例では、犬種、年齢、体重に関わらず、外科的治療を考慮する必要があります。臨床症状を伴わない Grade 1のMPLに罹患した小型犬では保存的治療が推奨されます。
2. 年齢
成長板が活発に機能している骨格形成期の犬、特に大型犬では、早期の外科的治療が強く推奨されます。
また、MPL罹患した1~3ヵ月齢の幼齢動物においても外科的治療が推奨されています。その理由として、手術の実施時期を遅らせた場合、膝蓋骨脱臼による二次的な骨格変形および筋肉の拘縮が激しく進行する危険性があるためです。
特に骨格形成期に Grade 4のMPLが診断された場合、重度な骨格変形そして機能障害を予防するために、可能な限り早期に外科的矯正を行う必要があります。中型犬あるいは大型犬では、滑車軟骨のびらんおよび変形が生じる前の外科的治療が推奨されます。
3. 体重
体重の重い大型犬そして肥満動物では外科的治療が推奨されます。MPL罹患症例では、大腿脛関節の屈伸運動に伴い大腿骨滑車から変位する膝蓋骨が関節軟骨の損傷、摩耗をきたし、これが骨関節炎の引き金となるためです。
4. 併発疾患
MPLの併発疾患として、前十字靱帯断裂が挙げられます。MPLに伴う膝関節伸展機構の内方変位は脛骨の内旋変形を続発し、これが前十字靭帯に対する負荷を増大し、最終的に断裂を誘発する危険因子となります。MPLと前十字靭帯断裂を併発している場合には、それぞれを考慮した外科的治療をする必要があります。
手術方法
骨組織の再建術 Bone reconstruction techniques
滑車形成術 Trochleoplasty
滑車溝の低形成(浅い、平坦、あるいは突出)は、大腿膝蓋関節が胎生期~骨格形成期早期に脱臼していたことを示唆する所見です。滑車形成術は低形成を伴う滑車を深く形成することを目的とした手術です。
脛骨粗面転位術 Tibial tuberosity transposition(Fig.4)
脛骨粗面転位術は、膝関節伸展機構単位の終止部となる脛骨陵を分離し、大腿膝蓋関節が安定性を維持した状態で、伸展機構単位を大腿骨頭側面に再配列することを目的とした術式です。
大腿骨および脛骨の矯正骨切術 Corrective osteotomy for the femur and tibia
MPLにより生じた骨幹部の長軸方向または回旋方向の重度な変形を矯正することを目的として、大腿骨および脛骨の矯正骨切術が報告されています。重度な変形を伴う症例および大型犬に対しては、画像検査を基に考慮する必要があります。
軟部組織の再建術 Soft Tissue Reconstruction
内側大腿膝蓋筋膜の開放 Medial femoropatellar fascial release
MPL 罹患膝関節において、伸展機構単位内方の筋膜および関節包を切開することにより、膝関節内側における軟部組織の緊張を解除する目的で実施されます。一般的にこの手技は単独で実施することは少なく、他の外科的手技と併用して実施します。
外側大腿膝蓋筋膜の縫縮(強化) Lateral femopatellar fascial imbrication
MPL 罹患膝関節において、大腿膝蓋関節を整復した段階で、膝関節外側の大腿膝蓋筋膜は余剰となっているため、軟部組織の安定性を増すために数種類の方法が報告されています。関節包に関しては、余分な関節包を除去した後に縫合を行う、関節包の縫縮術を行います。
脛骨内旋制動術 Tibial antirotational suture
膝関節における脛骨の内旋不安定性を減少させるために、外側腓腹筋種子骨と脛骨粗面に作製した骨孔を通過させ、縫合糸(または人工靱帯)を設置する手術方法です。この縫合糸は膝蓋靭帯の下部(膝脂肪体)を通過させ締結することで、大腿骨に対する脛骨の内旋を防ぎ、結果として膝関節の伸展機構の配列が改善されます。
この手技は大腿脛関節において脛骨の内旋不安定性が大きな症例(すなわち習慣性脱臼、Grade 2まで)に対して適応されることが多く、またMPLと前十字靭帯断裂を併発している症例においては、膝関節の前後方向の不安定性に対しても関節外制動術としても機能します。
大腿四頭筋の分離 Release of quadriceps muscle
MPL罹患症例ではその Grade によって、様々な程度で膝関節伸展機構単位の変位を伴っています。この場合、MPL においては膝関節内側の緊張を解除するために、膝蓋骨に終止している内側の筋肉(内側広筋など)の終止部を膝蓋骨から解離します。

右 : Grade 2;滑車溝形成術、脛骨粗面転位術、内側大腿膝蓋筋膜開放術および外側大腿膝蓋筋膜縫縮術を施した。
左 : Grade 1;滑車溝形成術、内側大腿膝蓋筋膜開放術および外側大腿膝蓋筋膜縫縮術を施し、加えて脛骨内旋が認められたため脛骨内旋制動術も併せておこなっている。
予後
犬および猫の膝蓋骨脱臼に対する外科的治療の予後に関しては、多くの報告で良好とされています。膝蓋骨脱臼のGrade 3までは一般的に予後は良好と考えられ、これらの患者の成功率は90%以上と報告されています。
術後におけるGrade 1の膝蓋骨脱臼は約半数の患者において認められますが、通常は再手術の必要はありません。犬の大きさは予後に影響せず、大型犬種においても良好な成績が報告されています。
膝蓋骨脱臼のGrade 4に罹患した患者の予後に関する報告は少なく、個々の患者および骨格変形の重症度によりその予後は様々であると推測されます。